
【歴史講座の運営・開催を支援】
ランドネットは、私塾ネット・学習塾LAPIS鎌ヶ谷主催「塾人・先生・大人のための歴史講座」の開催・運営を支援しております。
月1回のペースで開催している本講座には、教師や日本史に関心を持つ人たちが集い、毎回10名ほどが参加。
歴史を知る場所と機会をつくるCSR活動を通して、本社を置く池袋エリアの活性化に貢献しております。
【講座内容】
2026年6月7日の講義テーマは「天武(てんむ)・持統朝(じとうちょう)と『日本』の成立」でした。
天智天皇の崩御後に起きた「壬申の乱(672年)」は、息子の大友皇子(おおとものおうじ)と、弟の大海人皇子(おおあまのおうじ・のちの天武天皇)による、甥と叔父の後継者争いでした。
しかし、これは皇位継承争いにとどまりません。
天智天皇が進めてきた巨大な山城を築く「防衛(要塞化)路線」の大友皇子に対し、法律(律令)によって国家の土台を内側から固める「内政強化路線」の大海人皇子と妻の鸕野讚良(うののさらら・のちの持統天皇)が激突した、国家のあり方を巡る深刻な路線対立だったのです。
激戦の末に勝利した大海人皇子は、日本を律令国家へと生まれ変わらせ「日本」という国号や「天皇」という称号を定着させていきました。
そして、中央集権的な国づくりを進める上で、天武天皇が制度と同じくらい重視したのが、現代に伝わる『古事記』や『万葉集』に繋がる「文化の統一」でした。
天武天皇は、誰もが納得する「国としてのまとまり(精神的な柱)」を作るため歴史書の編さんを命じます。
背景には「歴史の捏造を正すため」と「神話による裏付け」がありました。
当時、力を持った豪族は自分たちの権力を正当化するために「我が家系は神話の時代からこれほど偉かった」と、都合よく書き換えた独自の歴史や伝承をそれぞれ主張していました。
これを放置すれば国がバラバラになる恐れがあり、国家主導で歴史を一本化する必要があったのです。
さらに、天武天皇は壬申の乱という武力によって実権を握ったために、民や豪族の心からの服従を得られず、再び次の反乱を生みかねません。
「力で奪った」のではなく「神話の時代から、この正統な血筋が国を治めることになっていた」という大義名分を歴史と神話によって国民に知らしめ、納得させることが必要不可欠でした。
【ランドネット社員の感想】
(授業を受けて)入社2年目 髙木
今回の歴史講座を通して学んだのは「新たなシステムや規律が形作られる背景には、動乱や既存の枠組みからの脱却といった大きなエネルギーが存在する」ということです。
天武天皇と持統天皇は皇位継承争いのなか、国家を強くするために法律を新しくしようと働きました。
これまで有力な豪族たちが自分の力を自慢するために巨大な「古墳」を作ってきたなかで、持統天皇は亡くなる際に天皇として初めて火葬を希望しました。
自らがシンプルな火葬を選ぶことで「これからは個人の力ではなく、法律という仕組みで国を動かす時代だ」と身をもって示したのが印象的でした。
さらに、天武天皇が『万葉集』の時代を彩る優れた歌人でもあったというお話も非常に興味深かったです。
若い頃の恋人・額田王(ぬかたのおおきみ)や兄の天智天皇との三角関係からなる愛憎劇の歌が残されているほか、吉野へ脱出した時の心情を詠んだ和歌「み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける…」が印象的でした。
当時の不安や沈痛な思いを雪や雨に重ねて詠んだこの歌からは、武断派のイメージを覆す、一人の人間としての葛藤や豊かな感性がリアルに伝わってきました。
天武・持統朝の時代を経て、和歌が個人の感情表現から宮廷の公的な芸術へと高められ、これが『万葉集』として広まっていったことを知り、国を一つにする文化の力に大きな可能性を感じました。
大化の改新(645年)から平城京遷都(710年)までの約65年間は、敗戦や内乱を乗り越えながら、日本が「豪族の連合体」から「天皇中心の法治国家」へと形を変えていった激動の時代です。
新たな時代に必要な形を身をもって示した天武天皇と持統天皇の行動は、現代社会を生きる私たちにとって、大きな学びとヒントを与えてくれている気がしました。

(運営を通じて)
今回の講座はいつも以上に多くの方にお集まりいただき、大人の参加者だけでなく、学生の方も熱心に耳を傾けていたのが印象的でした。
参加した学生からは、「学校の授業ではやらないような、教科書の行間を埋めてくれる内容だった。おかげで歴史の前後がすっきり繋がり、流れがよく分かった」という嬉しい感想も聞こえてきました。
ただ出来事を暗記するのではなく、歴史の「つながり」を深く考えられるのがこの講座の魅力です。
運営をサポートする私たちにとっても、非常に学びの多い時間となりました。
次回もまた、日本の土台が作られていくおもしろい時代を追っていく予定です。