
【歴史講座の運営・開催を支援】
ランドネットは、私塾ネット・学習塾LAPIS鎌ヶ谷主催「塾人・先生・大人のための歴史講座」の開催・運営を支援しております。
月1回のペースで開催している本講座には、教師や日本史に関心を持つ人たちが集い、毎回10名ほどが参加。
歴史を知る場所と機会をつくるCSR活動を通して、日本人が日本のことをもっと好きになれるよう取り組んでおります。
【講座内容】
今回の講義テーマは「聖武天皇と大仏開眼」でした。
743年、聖武天皇は疫病や政争などの災厄が続くなか、仏の慈悲による国家救済を決意し「大仏建立の詔」を発します。
それは、天皇ひとりの財力で作るのではなく、「草一枝、土一握りでもいい。国民自らの意思で持ち寄って協力してほしい」という異例の呼びかけでした。
結果、当時の総人口500万人の約7%にあたる37万人が寄付や労働に参加する、古代最大の国家プロジェクトとなったのです。
752年の「大仏開眼供養会」には約1万人が集い、世界各地から参加した人々に向けて、世界一大きな大仏とそれを建立した日本の技術力の高さを知らしめました。
しかしながら、この壮大な大仏建立に至った背景には、代々続いていた朝廷内での血塗られた権力闘争の闇がありました。
時は遡り、聖武天皇の曾祖母にあたる持統天皇は、自らが腹を痛めて生んだ草壁皇子の血統に皇位を継がせることに異常なまでの執念を燃やしていました。
草壁のライバルで人望や能力が抜群だった大津皇子を策謀により自害へ追い込むほか、草壁が28歳(689年)で早世すると、その息子(後の文武天皇)が即位できる年齢になるまで女性天皇が二代にわたり中継ぎを務めるなど、「草壁の血統は途絶えさせない」という強い思いは本人が亡くなった後もなお朝廷を縛り続けました。
文武天皇の時代になると、藤原鎌足の息子である藤原不比等が「外戚」戦略を企てます。
不比等は次々と娘を天皇家に嫁がせ、「天皇の祖父」として実権を握り始めました。
文武天皇の息子である聖武天皇に光明子を嫁がせ、光明子は臣下出身で初の皇后となり、不比等は藤原の血筋を皇室の正統にねじ込みました。
これに反発したのが、天武天皇の孫であり、皇族の矜持を守ろうとした長屋王でした。
しかし、不比等の息子たち「藤原四兄弟」による謀略で長屋王は自害に追い込まれます。
その数年後、今度は藤原四兄弟全員が天然痘で病死。
これを「長屋王の怨霊の祟り」として世間が恐れるなか、精神的に限界に達した聖武天皇は、仏に救いを求めようとあの大仏建立プロジェクトを始動したのです。

【ランドネット社員の感想】
(授業を受けて)入社2年目 大和田
今回の歴史講座を通して学んだのは、「歴史的建造物や文化事業の裏には、時代を覆う深い苦悩と、それを乗り越えようとする人々の祈りが込められている」ということです。
聖武天皇が大仏を建立した背景に、疫病の流行や政治的対立、怨霊への恐怖といった深刻な社会不安があったことを知り、私たちが修学旅行で見学した東大寺の大仏の印象が大きく変わりました。
権力で強制的に造らせるのではなく、「民衆と一緒に造り上げる」ことにこだわり、37万人もの協力者を集めたエピソードには、国を一つにまとめようとするリーダーの切実な思いを感じます。
こうした「志への共感」によって成し遂げられた古代のクラウドファンディングとも言える偉業は、現代の私たちの仕事にも強い示唆を与えてくれます。
組織やチームで一つの大きな目標に挑むとき、目指すべき「理念」を共有し、一人ひとりの「共感」を得ることこそが、全員が一体となって突き進むための最も重要な原動力になるのだと、身をもって学ぶことができました。
また「日本」という国号が定着し、仏教文化が花開いた背景には激しい政争と疫病に翻弄された時代もありました。
当時の人々がこうした危機をどのように乗り越えようとしたのかを学ぶことは、現代の社会課題に向き合う私たちにとっても非常に意義深いものだと感じました。
(運営を通じて)
今回の講座も、教科書の表面的な記述だけでは見えてこない、人間の生々しい感情やドラマに触れることができる貴重な時間となりました。
参加された方々からも、「大仏建立や、その後に続く孝謙・称徳天皇と道鏡の事件など、裏側にある背景が繋がり、歴史が立体的に見えてきた」という大変嬉しいお声をいただきました。
運営を支援する私たちとしても、単なる年号の暗記ではなく、過去の出来事から「なぜそうなったのか」を紐解く面白さを、今後も多くの方と共有できる場をつくり続けてまいります。