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【CSR】ランドネットの社会貢献活動|~藤岡先生の歴史授業支援レポ~第11回のテーマは「菅原道真と紫式部」

CSR

【歴史講座の開催・運営を支援】

ランドネットは、私塾ネット・学習塾LAPIS鎌ヶ谷主催「塾人・先生・大人のための歴史講座」の開催・運営を支援しております。

月1回のペースで開催している本講座には、教師や日本史に関心を持つ人たちが集い、毎回10名ほどが参加。

歴史を知る場所と機会をつくるCSR活動を通して、日本人が日本のことをもっと好きになれるよう取り組んでおります。

【講座内容】

今回の授業テーマは「菅原道真と紫式部」でした。

794年の平安遷都から約400年続いた平安時代は、天皇が政治の中心の前期、貴族が実権を握る中期(摂関政治)、上皇が政治を動かす後期(院政)に分かれます。

菅原道真は遷都100年後の摂関政治が始まる時期を、紫式部は遷都200年後の摂関政治全盛期のど真ん中を生きた人物でした。

道真は845年、三代にわたって文章博士を輩出した学者の家に生まれ、11歳で漢詩を詠み、32歳で文章博士となった当代随一の学者です。

886年からの讃岐国司時代には、寒さが真っ先にこたえる貧しい人々を詠んだ十首連作漢詩「寒早十首(かんそうじっしゅ)」を残し、「慈悲だけでは政治はよくならない」ことを現場で学びました。

帰京後は宇多天皇に抜擢され、遣唐使の停止などを進めた政治改革「寛平の治」を支え、学者出身としては異例の右大臣にまで上りつめます。

しかし901年、藤原時平の讒言(ざんごん)を受けた醍醐天皇によって太宰府へ左遷され(昌泰の変)、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花」の歌を残して都を去り、二度と京の地を踏むことなく没しました。

その後、朝廷では災厄が相次ぎ、930年の清涼殿落雷事件をきっかけに道真は雷神と同一視され、平将門・崇徳上皇と並ぶ「日本三大怨霊」の一人として恐れられます。

霊を鎮めるために建てられた北野天満宮は、やがて「祟る神」から「守る神」へと性格を変え、江戸時代の寺子屋の普及とともに「学問の神様」として定着し、今では全国約1万2000社の天神・天満宮に祀られています。

 

一方、紫式部が生きたのは、藤原道長が権勢を誇り、仮名文字の定着によって国風文化が花開いた時代でした。

本名も生没年も分からず、筆跡すら残っていない人物で、父は中流貴族の学者・藤原為時、仕えた相手は道長です。

20歳年上の夫と死別した1001年から『源氏物語』の執筆を始め、1006年には一条天皇の中宮・彰子に出仕しました。

ライバルの清少納言が中宮・定子に仕えていたのも同じ時期で、二人はそれぞれの後宮サロンを代表する才媛でした。

授業では『源氏物語』の冒頭「桐壺」を参加者への問いかけを交えながら実際に読み解いていきました。

そして最後に論じられたのが、「なぜ世界最古の長編小説が日本で、しかも女性の手によって書かれたのか」という問いです。

挙げられた要因は四つ。

『万葉集』に見られる「和歌の前の平等」と文芸サロンの存在、細やかな心理描写を可能にした仮名文字の発明、天皇の外戚を目指す摂関政治が才媛を集めたこと、そして宦官(かんがん)という去勢した男性が後宮に仕えた中国と異なり、日本の後宮は宦官の仕組みを持たず女性が実務や文化活動の中心を担いました。

才能を開花させ、それを広める機会が揃っていたからこそ、千年読み継がれる作品が生まれたのでした。

歴史講座の運営をサポートするランドネット社員

【ランドネット社員の感想】

(授業を受けて)入社1年目 中山

今回の歴史授業を通して学んだのは、「個人の成果は本人の能力だけでは決まらず、置かれた環境と、時間をかけて定まる評価によって形づくられる」ということです。

菅原道真と紫式部は、ともに中流貴族の学者の家に生まれ、同じ「摂関政治」という仕組みのなかを生きた人物でした。

しかし、その仕組みは道真にとっては讒言によって太宰府へ追われる壁となり、紫式部にとっては『源氏物語』を書き継ぐ場と作品を世に広める舞台となりました。

同じ環境が人によってまったく違う意味を持つことを知り、環境そのものに良し悪しがあるのではなく、その中で何を積み上げるかが問われるのだと感じました。

 

もう一つ驚いたのは、二人が生きている間に受けた評価と、後世に残ったものがまったく一致していないことです。

無実のまま失脚した道真は、死後に「学問の神様」として全国1万2000社に祀られました。

紫式部は本名も生没年も謎のまま、作品が千年読み継がれています。

一方、当時の権力の頂点にいた藤原氏の栄華そのものは、摂関政治の終わりとともに過去のものとなりました。

後世に残ったのは地位や権力ではなく、漢詩や物語という「形にして遺したもの」だったという事実は、その場の評判と、時間が選び抜く評価とはまったく別物だということを教えてくれます。

 

組織という観点でいちばん考えさせられたのは、道真の左遷です。

授業では、道真は個人的に憎まれたというより、「藤原氏の権力が確立していく過程で、藤原氏以外の有力な官吏の一人として、その狭間に排斥された人物」だと紹介されました。

つまり、本人の能力や落ち度の問題ではなく、時代が大きく動いていく流れの中で起きたということです。

組織が大きく変わる時期には、力のある人でも、本人にはどうにもできない事情で弾かれてしまうことがある。

それは本人の失敗ではないのだと、この一件から教わった気がします。

それでも道真の名前が千年後まで残っているのは、右大臣という地位のためではなく、漢詩や学問という、自分の手で形にしたものがあったからです。

無実の罪で失脚してもなお「悲劇のヒーロー」「忠臣」として語り継がれたことも大きかったと思います。

当時いちばん力を持っていたのは藤原氏ですが、千年後にこれほど名前が残ったのは道真という事実から、地位や立場はその時代の中でしか通用しないものだと実感しました。

紫式部が『源氏物語』を残せたのも、サロンという場と仮名文字という道具があったからで、力を発揮できる場と、その中で自分が何を形にするかは、どちらも欠かせないのだと感じました。

自分も、その時々の評価や立場に振り回されすぎず、目の前の仕事で人に残るものを一つずつ作っていきたいです。

 

(運営を通じて)

今回の授業は、教科書では数行で終わってしまう人物の背後にある、生々しい感情とドラマに触れられる貴重な時間となりました。

「学問の神様」と「日本三大怨霊」が同じ一人の人物であること、『源氏物語』が夫との死別の年に書き始められたこと、断片的に知っていた知識が一本の線で繋がっていく感覚は、運営として立ち会っていても引き込まれるものがありました。

また、『源氏物語』の冒頭を問いかけ形式でたどるパートのように、聞き手が自分で答えを考えながら進む構成が、この授業の面白さだと感じました。

授業を運営・支援する私たちとしても、単なる年号の暗記ではなく、過去の出来事から「なぜそうなったのか」を紐解く面白さを発信し、今後も多くの方と共有できる場をつくり続けてまいります。

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