【歴史講座の開催・運営を支援】
ランドネットは、齋藤武夫先生が主催する「日本が好きになる!歴史授業」の活動を2022年より支援しております。
池袋本社内のセミナールームを授業会場として提供するほか、オンライン配信用の機材設置や運営サポートなど、円滑な開催に向けた環境づくりを行っております。
講師および受講者の方々にとって、快適で集中できる学びの場となるよう、今後も支援を継続してまいります。
【講座内容】
2026年9月19日の授業のテーマは「近代日本の国づくり(2)〜近代立憲君主国の建設〜」でした。
明治新政府が掲げた国づくりの目標は、西洋列強による植民地化を防ぎ、不平等条約を改正して対等な独立国となること。
本授業では、弱肉強食の国際秩序の中で、植民地化を免れて独立を保ち、日本が立憲国家を完成させるまでの歩みを追いかけました。
◆不平等条約改正への第一歩、文明開化と富国強兵
不平等条約の改正へと動き出した日本は、西洋の技術・制度・文化を取り入れる「文明開化」を進めたほか、福沢諭吉らが「一身独立して、一国独立す」として、学問や自立の重要性を説きました。
また、岩倉使節団は欧米視察に向かうも、「憲法も国会も選挙もない国は野蛮国」として列強にはねのけられ、条約改正の予備交渉が失敗に終わります。
しかし、日本と同じ島国で資源がない英国が、輸入した原料を工場で加工し、製品として輸出することで大きな利益をあげているのを目の当たりにしたことで、政府主導による殖産興業による近代産業の育成と、徴兵制に基づく近代的な軍隊の整備、すなわち『富国強兵』こそが急務であるという日本の方向性が定まりました。
◆大久保利通と西郷隆盛、親友同士の戦い
明治政府の発足から10年を迎える頃、国内では内戦が起こります。西洋に学び富国強兵を推し進める大久保利通と対立したのは、「こんな政治のために我々は武士の誇りを捨てたのか?」と武士道を重んじる西郷隆盛です。
両者の理念の衝突は明治六年の政変(1873年)で決定的となり、西郷が政府を去り故郷の鹿児島へ帰る結末となりました。
その後、国内最後の内戦「西南戦争」(1877年)へと発展し、徴兵制によって集められた政府軍が士族軍(元・武士)に勝利しました。
これは、長年日本を支えてきた“武士の時代”が完全に終結を告げた出来事であり、同時に国づくりのバトンが伊藤博文ら次の世代の志士たちへと引き継がれたことを意味します。
◆大日本帝国憲法のもとで東アジア初の本格議会が開始
西南戦争を経て「これからは殺し合わず言論で戦おう」という機運が高まると、自由民権運動が全国に広がります。
これを受けて政府は、1881年に国会の開設を約束し、伊藤博文らが中心となって憲法の制定を進め、9年後の1889年に『大日本帝国憲法』を発布しました。
伊藤博文らはドイツ等の憲法学を参考にしながらも、『古事記』や『十七条憲法』などにみられる日本の伝統的な政治理念(天皇の前での平等という考え方、国民を「大御宝(おおみたから)」として重んじる精神、話し合いを重んじる伝統等)を組み込むなど、日本オリジナルの立憲君主制の憲法を作り上げました。
翌年には第一回帝国議会が開かれ、東アジアで初となる本格的な議会政治がスタート。
伊藤博文は「日本の国民は利己主義だけで投票しないと思う!国のためを考えて議員を選べるようになるだろう!」と、予算も法律も国会で決めるという他国に類をみない政治を進めました。
◆日清戦争と日露戦争、小さな島国が大国に勝利!
国会を開き、大日本帝国憲法が西洋列強から高い評価を受け、独立国としての地位を築いた日本ですが、西洋列強が不平等条約を改正することはありませんでした。
その矢先、朝鮮をめぐってアジアの超大国だった清と日本が開戦(1894年)します。
祖国の命運をかけて戦った日本兵に対し、清はお金で雇われた傭兵だったこともあり、国を思う愛国心と団結力の差によって日清戦争は日本の圧勝となりました。
終戦後の下関条約では、「朝鮮が清から独立」「台湾と遼東半島を日本の領土とする」「清が日本へ賠償金を支払う」ことが決まり、日本は賠償金を元手に八幡製鉄所を九州に建設するなど国内で産業革命を加速させていきます。
ところが、条約から1年後の三国干渉(ロシア・ドイツ・フランス)によって遼東半島の返還を余儀なくされると、その後ロシアが遼東半島を占領。
さらに、旅順・大連を租借し、満州へと勢力を拡大します。
このままロシアが南下すれば朝鮮が侵略されるのは時間の問題で、日本にとっても情勢が厳しくなります。
この脅威を阻止すべく、日本は日英同盟を結成し、日露戦争(1904年)に挑みます。
領土・陸軍・大砲・戦艦・国家予算の全てで日本を凌ぐ超大国ロシアを相手に、陸と海の両面で高度な戦術を展開した日本は、各国の予想に反し見事勝利を収めました。
この出来事はアジアの小さな島国が西洋列強の第2位ロシアを打ち崩したとして、世界を震撼させました。
◆不平等条約の完全改正を成し遂げ近代日本が完成
中国とロシアという大国に戦勝した日本は、1911年に「関税自主権の回復」を達成しました。
幕末以来の悲願であった不平等条約の完全改正を成し遂げ、日本は名実ともに西洋列強と対等な独立国となったのです。
有色人種国家として初めて列強に勝利した日本は、アジア諸国に大きな希望を与えます。
その一方で「西洋列強の一員」でありながら「アジアの一員」でもあるという、複雑で矛盾した葛藤を抱えて歩んでいくことも日本の宿命なのでした。

【ランドネット社員の感想】
(授業を受けて)新卒1年目 桐田
弱肉強食の国際情勢の中で日本を一つの独立国として存続させるために、明治新政府が富国強兵政策をとったこと、大久保利通と意見が対立した西郷隆盛が反政府勢力として反乱を起こしたことは、学生時代に学んだ記憶がありました。
かつて親友だった二人の意見がどのように対立したのかについては、本授業で初めて知ることができました。
国家の存続を優先するか、日本人の民族性や美徳の保存を優先するか、どちらも切り捨てることなどできない重要なものだったからこそ、両者は徹底的に争わざるを得なかったのだという経緯を知り、理想を現実にする難しさと深いやるせなさを感じました。
また、伊藤博文が大日本帝国憲法の作成にあたり、ドイツの学者シュタイン氏から「日本の伝統を生かした日本らしい憲法」を作るようアドバイスを受けたというエピソードも大変興味深かったです。
7、8世紀ごろの政治理念が、19世紀後半の日本においても優れたものであった背景には、1000年以上の時を経ても変わらない日本の国民性があるのではないかと感じます。
近年、技術のめざましい発展やグローバル化により、日本は海外の多様な価値観を取り入れて成長しています。
しかし、どれほど時代が変わろうとも、先人たちが遺してくれた優れた技術や考え方は未来へ継承していくべきであると、本授業を通して改めて痛感しました。
(運営を通じて)
「あなたが大久保利通なら親友の西郷隆盛と戦うか?」「あなたが伊藤博文ならグナイスト先生(議会の権限を抑えるよう説いたベルリン大学の法学者)の教えに従うか?」など、歴史上の重要な局面でリーダーたちが下した決断について改めて考えさせる問いかけが印象的でした。
もし自分だったらどの道を選ぶかを悩みながら考えることで、かつての政治指導者が下した決断が、いかに国家の存亡をかけた苦渋の決断の連続であったのかを実感し、日本の歴史を他人事ではなく自分事として捉えられました。
授業でもっとも心に残ったのは、「もし西郷さんの目指す国づくりが行われていたとしたら、日本はどんな国になっていたのか見てみたい」という、ある一人の受講者の意見です。
単に史実を学ぶだけでなく、過去の出来事から日本の様々な可能性を想像し、その上でこれから先の日本がどんな国になっていってほしいかなど、自身の想像力が掻き立てられる授業でした。
これからも本授業を通じて、多くの方々に日本の歴史について関心を持っていただけるよう、スタッフ一同、運営のサポートを続けてまいります!